自分は始皇帝やハリウッドセレブより恵まれているんじゃないかと思っているという話


たまーにこんなことを考えて一人で「幸せだなー(加山雄三風)」など思っていることなのだけれど、何となく書き残しておく。


自分は日本生まれ日本育ちの現代っ子なのでそれベースの価値観でしかないのではあるのだけれど、自分が幸せだなーって感じるのは「甘くておいしいもの食べてゴロゴロして過ごしているとき」である。で、空調の効いた部屋で何かを思い立ったらPC開いてピコピコして、そこそこ綺麗なお風呂に入ったりそこそこ綺麗なトイレにいったりして過ごすのである。「甘くておいしいもの」というのは別にお高いモノではなくてコンビニとかで売ってるマンゴープリン的なのとかスプーンで食べるロールケーキ的なやつ。


そんなときにふと「秦の始皇帝は権力持ってたけど、どんなに財産と権力を使ってもこんなおいしいコンビニスイーツ食べられなかったんだよなー」などと思ったりする。
コンビニスイーツは現代の日本人からみるとまったくもって特別なものではないのだけれど、味にせよ衛生管理にせよ入手容易性にせよ、人類が長い年月を経て築いてきた文明のうえに成立しているものであり、コンビニスイーツを食べるということは始皇帝も含めた全人類が築いてきた財産のおこぼれを頂戴しているということでもある。
始皇帝の段階ではそこまでの文明が発達していないので、たとえ世界征服して地球上の財産を全部得られたとしてもコンビニスイーツは食べられない。もちろん当時にも現代の日本人では容易に手に入らないおいしいものはあったと思うが、こっちはいくつかのコンビニを渡り歩けば膨大な種類のスイーツが手に入るし、何もしないで一ヶ月ぐらいダラダラしてるだけでコンビニの偉い人が新作をジャンジャン投入してくるのである。無敵さ加減が全然違う。


「幸せ」にはいろいろな種類があるのだけれど、その中でも「物質的な豊かさから得られる幸せ」というのは個人の資産などよりも文明によるものが大きくて、やはり現代の日本という無敵の基盤のうえで生活している人というのは、その内部での貧富はあるにしても、人類の全歴史全地域を見渡したときに全員かなり上位の幸せ水準にいるんじゃないのかなと。


ちなみに、個人的にはハリウッドセレブとか国外の資産家などと比べても日本の一般市民の方が「物質的な豊かさから得られる幸せ」を享受していると思っている。
これは前述の始皇帝の話よりもさらに個人的な事情によるものなのだが、自分は細かいところが凄く気になるのである。ドアの立て付けとか壁紙と壁紙の隙間とか。
あまり海外に行くことはないのだが、行ってみると結構いろんなところが粗いのである。前段で「そこそこ綺麗なお風呂」「そこそこ綺麗なトイレ」といった書き方をしたが、そのあたりのつくりがお話にならないくらい粗い。そもそも文化的にそういったあたりを気にしないのか、新しめの施設だったりそれなりのランクっぽいところであったりしても粗い。
海外経験は乏しい方だし本気の高ランクの施設に行ったことがある訳ではないのでかなり偏った見方なのではあるが(そもそも「海外」と一括りにしているのも乱暴な話ではあるが)、自分の知っている範囲/想像の範囲ではハリウッドセレブなどでも現代の日本人の自分が求めているような水準のモノに囲まれて暮らしてはいないのかなという気がしている(そもそも文化的にその細かい「水準」とやらに価値を感じていないということだろうけれど)。
そう考えると秦の始皇帝同様ハリウッドセレブもイマイチ羨ましい感に欠けており、やっぱり現代の日本人が一番「物質的な豊かさから得られる幸せ」を感じられる立場にいるのではないのかなと。


と、いうことを考えながらコンビニスイーツ食べてゴロゴロしているとダメ人間の一日が終わるのですよ。救いようがないよね。